辻和金網さんに行った次は、いよいよ豊国神社に行きました。まあ、実際はですね、いよいよというほどでもなく、仕事のついでですから、いかに短い時間で観光できるか、ということで選んだのが、豊国神社でした。
方広寺へ行こう
選ぶ過程で、やはりいろいろ考えました。まず、ぼくは二条城あたりに用があったため、その近辺で探したところ、壬生寺と八木邸がわりと近くにありました。歴史ファンにとっては行かなければならないところのひとつです。ただ、調べていると、八木邸には案内してくれる方がいるようで、時間があればとてもありがたいのですが、そうも時間がないため、どうしようかなと思いました。そこでスマホを置いて考えて出てきたのが、豊国神社…ではなく、方広寺でした。あの鐘をこの目で見たい!ということで、方広寺に行くことにしたのです。
方広寺鐘銘事件は、去年の大河ドラマ真田丸でも大きく取り上げられていましたね。あの有名な、「国家安康 君臣豊楽」については、子供のころから気になっていました。いったいそれのなにがそんなにいけないのか、と。子供というのは小学生高学年ぐらいの頃を言っているんですが、そのときは、豊臣方の言い分である、これからの時代の繁栄を願って、という主張がしごく尤もなことだと感じました。それに対して、徳川方の、諱を半分に割っただの豊臣が栄えるだの、そんなのは言いがかりじゃん、別にいいじゃんうるせえな、と思ったものです。
今そんなことを考えてみると、子供の頃に感じた、なにがそんなに悪いのか、という感覚、これはやはり、あながち間違ってもいない気がします。しかし、徳川方の言いがかりと思っていた主張も、大人になるとわかります。わかるというのは、そういう展開に持っていった気持ちがわかるということです。
そう、早い話が、豊臣は子供で徳川が大人だった。政治力の差だったというやつですね。幕末、徳川慶喜が、幕府側に西郷大久保ほどの人物がいるのか、と嘆いた話が伝わっていますが、豊臣方には家康や本多親子などはいなかったのですね。
そんなことに思いを巡らしながら、御所の南から車で移動すること15分ぐらいでしょうか。方広寺、というか、豊国神社に着きました。実際は思いを巡らすどころか、慣れない道の運転に集中してましたけど。
方広寺と豊国神社
もともと、例の事件のあったころには、方広寺というのはとんでもなく大きい寺院だったようです。そして、死去したのちに豊国大明神となった秀吉は、阿弥陀ヶ峰の山頂に建立された豊国神社に祀られて、京都を見守っていたようです。阿弥陀ヶ峰というのは、たぶん、今の豊国神社の東にある、山科へ通じる国道1号線が通っているあのへんの山のことです。
豊臣氏の滅亡後は、方広寺は火災やらなんやらで縮小。豊国神社は廃され、廃れるがままになっていたといいます。なにが寂しいって、秀吉は豊国大明神ではなくなり、仏式の戒名に変更されて、方広寺の片隅の小さな五輪塔に霊を移されたことです。そりゃ東には東照大神君がおわしますからね、そうなるんでしょうけど、なんか、晩年から死後の秀吉は、寂しいったらありゃしないすよね。
今の豊国神社は、明治天皇の直せの一言で、元々の方広寺の土地に再建したらしいです。
豊国神社には駐車場があり、停めさせてもらいました。150円後払いで、鍵を預けますが、神社と方広寺だけを見る程度であれば、料金は不要みたいで、支払いは結構ですとのことでした。
神社の山門は国宝です。めちゃくちゃ立派です。安土桃山を忍ばせる華麗さと豪快さを感じさせる素晴らしいものです。もともとは伏見城のものだそうで、南禅寺金地院を経由して、移転してきたものだそうです。桐の紋も確認することができます。
もっと寄って写真撮ればよかったすね。
ここでお参りした後、いよいよ方広寺へ!
あれ、でもないぞ、方広寺。地図によると豊国神社の北側にあるはずなのに、お堂しかない。あとは駐車場。そうか、ずいぶんと縮小したんだな、きっとそうだ。それで納得。でも、お目当ての鐘がない…。いくら探しても、という広さでもないけど、とにかく鐘がなーい、と思っていたら、目の前に、足場が組まれて防音シートに囲まれたなにかがある。いや、最初から気づいてはいたけど、まさかこれが?と思い、おそるおそる防音シートの隙間から中を除くと…あった…、鐘…。まさかの工事中かよ。
防音シートの隙間から手を伸ばして撮った写真がこれ。
左下に指が写り込んでいます。必死さが伝わるでしょう。見えますか、白く囲われてるんですよ、「国家安康 君臣豊楽」。鐘は予想してたよりはるかに大きく、正直びっくりしました。あんな大きい鐘は見たことありません。あーあ、足場なしで見たかった。天井に絵も描いてあるみたいだし。
がっかりしたあまり、豊国神社の宝物館は見ずに帰っちゃいました。この宝物館の隣に、秀吉の霊が200年ばかり眠っていた、例の寂しき五輪塔があるみたいです。行けばよかった。
豊臣秀吉が今の世にしっかりと残す遺構は、案外少ないものだと思いませんか。方広寺もそうだし、伏見城もなければ肥前名護屋城もない、大阪城に至っては徳川政権に埋められているし、お土居も形跡だけ。秀吉存命中の一代限りの天下と当時の文化、その後の豊臣氏を思うと、秀吉の遺構に接したとき、ぼくは無性に寂しくなってしまいます。
以下は共に位階を極めた人の句です。秀吉の句は辞世の句とはいえ、こうも違うものになるんですね。
この世をば/我が世とぞおもふ/望月の/欠けたることも/なしとおもへば(藤原道長)
露と落ち/露と消えにし/わが身かな/難波のことも/夢のまた夢(豊臣秀吉)